シーキャット (潜水艦)
USS シーキャット | |
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基本情報 | |
建造所 | ポーツマス海軍造船所 |
運用者 | アメリカ海軍 |
艦種 | 攻撃型潜水艦 (SS) →補助潜水艦 (AGSS) |
級名 | バラオ級潜水艦 |
艦歴 | |
起工 | 1943年10月30日 |
進水 | 1944年2月16日 |
就役 | 1944年5月16日 |
退役 | 1968年10月2日 |
除籍 | 1968年10月2日 |
その後 | 1973年5月18日、スクラップとして売却。 |
要目 | |
水上排水量 | 1,526 トン |
水中排水量 | 2,424 トン |
全長 | 311 ft 9 in (95 m) |
水線長 | 307 ft (93.6 m) |
最大幅 | 27 ft 3 in (8.31 m) |
吃水 | 16 ft 10 in (5.1 m) |
主機 | フェアバンクス=モース38D 8 1/8ディーゼルエンジン×4基 |
電源 | エリオット・モーター製発電機×2基 |
出力 |
水上:5,400 shp (4.0 MW) 水中:2,740 shp (2.0 MW) |
最大速力 |
水上:20.25 ノット 水中:8.75 ノット |
航続距離 | 11,000 海里/10ノット時 |
航海日数 | 潜航2ノット時48時間、哨戒活動75日間 |
潜航深度 | 試験時:400 ft (120 m) |
乗員 | 士官6名、兵員60名 |
兵装 |
シーキャット (USS Sea Cat, SS/AGSS-399) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名は淡水魚がほとんどを占めるナマズ目(Catfish)の中で、例外的に海水魚であるハマギギ科とゴンズイ科に属する120種ほどの総称に因んで命名された。
艦歴
[編集]シーキャットは1943年10月30日にメイン州キタリーのポーツマス海軍造船所で起工した。1944年2月21日にE・L・コクレーンによって命名、進水し、5月16日に艦長ロブ・ロイ・マクレガー中佐(アナポリス1929年組)の指揮下就役する。ニューイングランド海岸沖での公試および整調後、シーキャットは8月28日にニューロンドンを出航し、パナマ運河経由でハワイに向かった後、ハワイ海域での訓練を行った。
哨戒
[編集]10月28日、シーキャットは最初の哨戒でパンパニト (USS Pampanito, SS-383)、パイプフィッシュ (USS Pipefish, SS-388)、シーレイヴン (Searaven, SS-196) と共にウルフパックを構成し南シナ海に向かった。ミッドウェー島とサイパン島を経由して南シナ海の哨戒海域に入り活動。12月3日、シーキャットは北緯06度31分 東経106度12分 / 北緯6.517度 東経106.200度の地点で南下してくるヒ83船団を僚艦とともに迎え撃ち、シーキャットは2隻の日本商船に向けて雷撃し、マクレガー艦長は両方とも撃沈し15,000トンもの戦果を挙げたと考えたが、戦後の日本の記録ではタンカーはりま丸(石原汽船、10,045トン)を撃破したことが分かった[2]。シーキャットは37日間を哨戒海域で過ごした。12月28日、シーキャットは58日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投[3]。艦長がリチャード・H・バワーズ(アナポリス1938年組)に代わった。
2月1日、シーキャットは2回目の哨戒でセグンド (USS Segundo, SS-398)、レザーバック (USS Razorback, SS-394) とウルフパックを構成し東シナ海に向かった。シーキャットは九州沖での哨戒活動中、2月19日には300トンの貨物船に砲撃を加え[4]、2月15日には小型貨物船を雷撃したが魚雷は命中しなかった[5]。3月6日には2,000トン級貨物船に雷撃を行い撃沈を報告したが[6]、日本の記録ではそれを補うものはなかった。3月24日、シーキャットは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
4月27日、シーキャットは3回目の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。5月25日、シーキャットは北緯37度29分 東経124度01分 / 北緯37.483度 東経124.017度の地点で海上トラックの集団を発見し、魚雷で3隻撃沈した[7]。6月7日、シーキャットは他の6隻の潜水艦と共に日本軍の輸送船団を攻撃。400トン級の敵船に対して雷撃と砲撃を行って、撃沈した船から2名の生存者を乗艦させ、尋問を行った[8]。6月25日、シーキャットは57日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
8月6日、シーキャットは4回目の哨戒で千島列島に向かう。しかしながら哨戒海域に到着後、終戦の知らせが入る[9]。シーキャットは日本本土へ向かうことを命じられ、9月2日に東京湾で行われた降伏式典に臨席し、翌9月3日に出港してグアムに向かった。9月7日、シーキャットは27日間の行動を終えてアプラ港に帰投した。
シーキャットは第二次世界大戦の戦功で3個の従軍星章を受章した。
戦後
[編集]シーキャットはアプラ港での短期間の停泊後、帰国の途に就く。サンディエゴでの作戦活動を1946年の春まで行った後、サンフランシスコ湾に向かい、1946年4月15日にオーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所に到着した。オーバーホール作業は7月26日に終了し、シーキャットはサンディエゴに向かう。サンディエゴを8月12日に出航し、最初の模擬哨戒に向かう。この巡航ではハワイ、カントン島、スウェインズ島、サモア、アタフ島、青島、上海を訪問した。巡航を終えるとシーキャットは大西洋艦隊に配属された。
シーキャットは1947年1月12日にパナマ運河地帯のバルボアに到着、その後2年半をバルボア沖での訓練に費やし、1949年6月に母港はキーウェストに変更された。その年の秋、次回のオーバーホールで実験用の変更が実施されることが決定した。9月30日に AGSS-399 (実験潜水艦)に艦種変更され、11月7日にフィラデルフィア海軍造船所に入渠した。改修作業は1950年3月11日に完了し、シーキャットはニューロンドンを経由してキーウェストに帰還した。キーウェストを拠点として作戦活動に従事し、1952年1月9日にフィラデルフィアに向かう。1月15日に到着、シーキャットはフリート・シュノーケル改修が行われ、再度 SS-399 へ艦種変更された。オーバーホールと改修が完了すると、シーキャットは1952年6月26日にフィラデルフィアを出航しキーウェストに帰還した。母港を拠点としてカリブ海、メキシコ湾およびアメリカの南海岸で活動し、1966年7月に大西洋を横断、地中海で第6艦隊と共に4ヶ月間の配備に就いた。10月30日にキーウェストへ帰還すると、その後はカリブ海およびフロリダ海域で定時任務を再開した。シーキャットは1968年12月2日に退役し、同日除籍された。その後1973年5月18日にスクラップとして売却された。
脚注
[編集]- ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.74
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II。駒宮, 298ページには記載なし
- ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.18
- ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.74
- ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.70,71
- ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.72,73,87
- ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.117,118,119,120,121
- ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.121,122,125
- ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.148
参考文献
[編集]- SS-399, USS SEA CAT(issuuベータ版)
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
外部リンク
[編集]- history.navy.mil: USS Sea Cat - ウェイバックマシン(2004年3月14日アーカイブ分)
- navsource.org: USS Sea Cat
- hazegray.org: USS Sea Cat
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。